より良い測定を目指して




迫田 直也 (九州大学)




 AI時代の到来だが,先日,AIの学習に使えそうなデータは徐々に使い尽くされ,良質なデータは2026年には底をつくのでは,というニュースを見た(注1).また最近,総理は東大での生成AIシンポジウムにて「生成AIの鍵を握るのは,計算資源と良質なデータ」と述べたという(注2).熱物性学会では,AIという言葉が身近になるずっと前から長きにわたり良質なデータを提供している.確かに,今まさにAI時代に必要なのは本学会であると言えるかもしれない(そのような主旨の話が先日の理事会でも出たように記憶している).私自身,流体の熱物性計測において,「より良い測定」を目指してはいるものの,「より良い測定」とはどんなものだろうかといつも頭の中をぼんやりと漂っている気がする.「良い」の定義が自分の中に明確にある訳では無いからだろうか.この場合,「良い」という言葉からは,「不確かさが小さい」と思い浮かべられるが,求められている不確かさは目的や測定対象,領域によって,実現可能かも含め異なることから,そう単純では無い.若かりし学生時分,状態方程式を作成していた時は,不確かさが小さい実測値に出会うといたく感動したが,実際に自分で高温・高圧下での測定してみると,自分の稚拙な技量を棚に上げつつ,領域によって達成できる不確かさは当然それぞれだよなと思うようになった.単なる数値だけで無く,このあたりの機微をAIがデータ収集の際に理解してくれると良いのだが.また,不確かさが少々大きくなっても,迅速かつ多くのデータを取得できるのであれば,その方が「良い」という場合もある.あるいは,不確かさはさておき,これまで測定できなかった条件下で測定が可能になれば,大変な価値である.その他にも多様な背景が考えられることだろう.
 AI時代に先駆けて,情報関連機器の発展が著しいわけだが,機器が新しくなり,より簡単に測定しようと装置を製作しても,満足できる「良い」データが得られず,結先人の方法に戻ってきてしまうことがあった.諸先達の測定にかけた労力に唯々畏敬の念を抱くのみである.
 私は,流体の熱物性計測を専門としているが,データを取得したとき,本当に流体の声を聴けたのだろうかと思うことがある.真の値は分からないので,不確かさを評価するのだろうから,聴けるはずはないのだが.不思議なもので,このデータは上手く取れたのではないかと思っても,次の日には感動が薄れてくる.言葉の使い方の真偽は定かではないが,データにも確かに鮮度があるらしい.また,情報機器の発展に伴って,遠隔で装置を操作し,温度や圧力といったデータをモニタリングできるようになったが,どうも装置の傍にいて,データの推移を確認していないと気が気でない.
 そんな一連の心の中のモヤモヤも,同じ熱物性研究者同士でディスカッションを行うと,自身の測定に関する理解が深まり,気持ちが晴れることがあるし,次の測定へのモチベーションに繋がる.より良い測定にはより良いコミュニケーションが必要不可欠なのだ.測定の良し悪しは,実際に測定を行っている仲間でしか理解されないかもという不安を抱えながらも,そこでは,より良い測定を目指す苦労を分かち会えたという肯定感が得られる.学生時代,研究室で飲み会をしていて,気づけば,互いの実験や研究の話をしていた.自分は何もお酒の席でまで,と思っている方だったが,熱物性計測には,人を夢中にさせる何かがあるようだ.
 そんなことを考えながら,今日も魂を込めた測定を行いたいと願っているが,なかなか日々の雑用(失礼!)もあり,時間が取れないのが現状である.長い時間をかけ,良いデータをとっても何とかインデックスの値がそれほど変わるとは思えない(いや,長期的には変わるのか?),という雑念を振り払い,真摯に試料と向き合い,自分の技量の限界に対する落胆と少しの開き直りとともに,測定に取り組みたいのであった.

注1 https://news.yahoo.co.jp/byline/kazuhirotaira/20230724-00359127
注2 https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/actions/202307/04seisei_ai.html
(いずれも2023年7月31日閲覧)

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