熱物性学会とのご縁
熊野 寛之 (青山学院大学)
編集委員長の宮崎康次先生(九州大)から,突然,巻頭言の執筆の依頼を受けました.私自身,熱工学の分野で仕事をさせて頂いてから30年ほど経ちますが,固液相変化を軸足に研究を行って参りましたので,熱物性に関する研究はそれほど多くはない,ある意味,不真面目な会員ではないかと感じておりました.そのため筆者の巻頭言では,会員の皆様のお目汚しにしかならないとも思いましたが,折角の機会ですので,熱物性学会と筆者とのこれまでのご縁について整理してみることに致しました.
筆者が初めて熱物性シンポジウムで発表させていただいたのは,2004年10月に長野で開催された第25回のシンポジウムでした.そこでは,アイススラリーの見かけの融解潜熱に関する発表をさせて頂きました.平澤良男先生(元富山大)をはじめ,北信越の熱物性学会の皆様とは,親しくさせて頂いた先生方が多かったので,懇親会を含め楽しく参加させて頂いた記憶があります.
その後,2006年に信州大学で職を得たときに,北信越の先生から熱物性学会の評議員になってほしいと依頼を受けました.その当時,筆者は学会員ではありませんでしたので,人手不足で困っておられるならお受けするべきでは,との思いから2年間の評議員を仰せつかりました.後から分かったことですが,当時,北信越では,それほど困るような状況ではなかったでしょうから,入会の勧誘ついでのお話だったのではないかと思っています.
しかしながら,その入会をきっかけに,大久保英敏先生(元玉川大)が主査を務めておられた本学会の研究分科会「低温環境における熱物性の基礎と応用」にお誘い頂きました.そこでは,およそ4年間の活動の中での10回の研究会,シンポジウムでのOSの開催などを通して,熱物性学会で熱心に活動しておられる先生方との繋がりや,新しい研究分野にも触れることができました.特に,研究分科会の一員でした山田雅彦先生(北大),堀部明彦先生(岡山大)とご一緒する機会が増え,気軽に声をかけて頂くようになったことは,筆者の今までの研究活動にとっても大きな財産となりました.それ以降は,定期的に熱物性シンポジウムにも参加させて頂くようになり,2020年の第41回熱物性シンポジウム(実行委員長 重里有三先生)では,残念ながらオンライン開催となってしまいましたが,青山学院大学を主体として熱物性シンポジウムを開催させて頂くこともできました.
最後に,これも一つのご縁と思いますが,筆者の指導教員の斎藤彬夫先生(元東工大)も,その恩師の片山功蔵先生(元東工大,故人)も熱物性学会の会員でした.斎藤先生がご退職なさる際に,それまでに掲載された論文,学会誌などに寄稿された原稿などをまとめた業績集を作成されました.その業績集の中には,片山功蔵先生がご逝去された際に執筆された追悼文(熱物性, Vol.7, No.3)も収められておりました.その中に,片山先生がおっしゃっていた言葉が紹介されており,筆者にとっては非常に印象的でした.
『熱物性の仲間は,暖かみがあって,楽しいんだな~.』
それまで,学会に参加して同じ研究分野の方との交流もあり,学会においてもそれなりに楽しく過ごしてきた筆者でしたが,“学会の仲間が暖かい”という印象を持ったことはなく,とても新鮮な表現でした.改めて考えると,筆者のように熱物性研究に関しては極めて中途半端でありながらも,学会の皆様には暖かく迎えて頂いておりました.熱物性という学問が,様々な分野の研究者が集う横断的な研究分野であり,学会そのものが違う分野や背景を持った研究者が意見を交わす場になっていることが,この“暖かみ”の源泉なのではないかと感じています.お互いに,厳しいながらも敬意を持って他者に接し,その違いを受け入れるという土壌が学会に備わっているからなんだと,勝手に解釈しています.
暖かみの中にもその厳しさに触れながら,熱物性に関する研究で社会に貢献できるよう精進していこうと,この原稿を書きながら改めて思った次第です.