異分野の交差点が拓く持続可能社会
山田 昇(長岡技術科学大学)
この度,日本熱物性学会の機関誌「熱物性」に巻頭言を寄稿する機会を賜り,大変光栄に存じます.これまでエネルギーシステム,とりわけ熱システムの研究開発に携わってきた私にとって,熱物性という分野は,研究を支える「当たり前」の存在でした.しかし,昨今の脱炭素化という喫緊の課題に直面する中で,この「当たり前」の存在が持つ計り知れない重要性と,熱物性学の未来への大きな可能性を改めて痛感しております.そして,その中で日本熱物性学会が果たすべき「異分野研究者の交差点」という機能について,深く認識するに至りました.
私のこれまでの研究において,常に不可欠だったのが正確で高精度な熱物性値でした.伝熱解析を行う際も,流体の粘度や熱伝導率,比熱といった値がシミュレーション精度を左右します.当然のこととしてこれらの値を用い,計算結果の妥当性を議論してきましたが,その値自体がどのように得られ,どれほどの不確かさを伴うのか,深く考察することは正直なところ多くありませんでした.熱物性値は,私の研究における「空気」のような存在であり,その存在なくしては成り立たないにもかかわらず,意識されることが少なかったのです.
しかし,脱炭素化という巨大な目標達成には,従来の延長線上ではない革新的な技術創出が不可欠です.例えば,再生可能エネルギーの熱エネルギー貯蔵,二酸化炭素の回収・貯留技術,水素社会実現に向けた燃料電池や水素製造プロセスなど,どれもが熱の挙動を精密に制御する技術の上に成り立っています.このような先端技術開発において,従来にも増して重要となるのが,極限環境下における熱物性値の正確な把握です.高温・高圧,あるいは超低温といった特殊な条件下での物質の振る舞いを正確且つ高精度に予測できなければ,設計の最適化はおろか,安全性の確保すら困難になります.
熱物性値の重要性は,その測定精度の向上に留まりません.網羅的なデータベースの構築と,それらを容易に利用できるツール化は,研究開発の加速に不可欠な要素です.近年注目されるデータ駆動型科学やマテリアルズインフォマティクスを熱システムに応用するには,高品質な熱物性データが基盤となります.様々な物質の熱物性値を網羅的に集積し,利用者が瞬時にアクセスできるデータベース,そしてそれらのデータを活用して新たな材料やプロセスの設計を支援するソフトウェアツールが整備されれば,研究者の試行錯誤を劇的に減らし,開発期間を短縮することに大きく貢献するでしょう.これはまさに,脱炭素化技術の社会実装を強力に後押しするポテンシャルを秘めていると思います.
日本熱物性学会は,このような熱物性研究の最前線を牽引する,唯一無二のサイエンスコミュニティであると認識しております.特に昨年,熱物性シンポジウムの実行委員長を務めさせていただいた際,諸先生方から,本学会が長年にわたり「異分野研究者の交差点」としての機能を果たしてきたというお話を伺い,深く感銘を受けました.この交差点は,個々の研究者が持つ専門性を掛け合わせることで,新たな発見や革新的なアイデアを生み出す源泉となります.
脱炭素化という難問に立ち向かう現代において,熱物性学が果たすべき役割はますます大きくなっています.本学会が,これからも熱物性研究のフロンティアを切り拓き,異分野研究者の交差点として社会の持続可能な発展に貢献し続けることを心より願っております.また,私自身も微力ながら尽力したいと考えております.