基本単位の定義改定と熱物性




竹歳 尚之 (産業技術総合研究所)




 「A tou les temps a tous les peoples」,英語では「At all times, to all peoples」,日本語では「すべての時代に,すべての人々に」,と訳せば良いのでしょうか.これはメートル条約を記念してフランスで作られたメダルに刻まれた言葉です.メートル条約は単位の国際的統一を実現するために1875年に締結されました.当時地域は限定的とはいえ,国を超えて単位を統一するというのはものすごいエネルギーを必要としたはずで,この言葉には条約締結に努力した方々の思いが凝縮されているように思います.日本はその10年後に加盟し,以後国際度量衡委員会委員を継続的に派遣するなど,計量の国際的な同等性を実現・維持する取り組みに貢献しています.
 昨年の熱物性シンポジウムにおいて産総研藤井賢一氏の特別講演で紹介されましたが,2018年11月にフランス,ベルサイユで開かれる国際度量衡総会で,7つの基本単位のうち,4つの基本単位の定義を改定する決議が採択されようとしています.ここで,7つの基本単位とは,長さ (m),質量 (kg),時間 (s),電流 (A),熱力学温度 (K),物質量 (mol),光度 (Cd)を指し,これらを組み合わせた組立単位で,全ての他の単位が表されます.その基本単位は時代とともに変遷し,現在の7つに至っています.
 今回7つのうち,4つの基本単位で定義が改定されるわけですが,最大の目玉は質量です.これまで質量だけが白金イリジウム合金の分銅という人工物が基準でしたが,これが物理定数であるプランク定数を基準に改定されます.これまでプランク定数は測定対象であり,不確かさをもっていましたが,定義が改定されるとその値が固定され,国際キログラム原器に不確かさが乗ることになります.
 また,熱物性に関係する温度は,水の三重点を基準にした定義からボルツマン定数を基準にして定義されます.同様に,物質量はアボガドロ定数を基準にした定義に,電流は電気素量を基準にして定義される予定です.当然組立単位で表現される量も影響を受け,例えば熱伝導率は [W m-1 K-1] = [kg m s-3 K-1] ですから,今回定義が改定される2つの基本単位が含まれていることがわかります.
 実際に測定することを考えてみると,デジタルマルチメータやオシロスコープなどで電気信号に置き換えてデータをとっていますし,測定対象の量や濃度を測る際には,物質量で扱うときもあります.その意味で今回の改定の全てが,熱物性の研究者にとって,いえ,すべての科学者にとって関係のあるのは明らかでしょう.
 単位の定義改定は,社会生活に影響がないように慎重に決められますので,日々の生活で影響を受けることはありません.実験結果も多くの場合影響はないでしょう.しかし,単位の定義が原因でこれ以上精確に測れない,という状態が解消された意義は大きく,質量ではマイクログラム以下の微小質量を計測する技術開発が進められており,温度についても,熱力学温度を直接計測する装置の開発が世界各国で進められているところです.電気では電子一個一個を直接カウントして電流を計測する技術が研究されています.
 私としてはこういう動きが,熱物性の研究にも何か刺激になり,波及効果があれば良いなと期待しています.それがどういう形かは,研究者個々が今回の定義改定をどう捉え,どうアプローチするかで変わってくるでしょう.ある人にとっては,熱の本質を深いところまで見直すきっかけになるかもしれませんし,ある人にとっては,基本単位の計量に使われている技術を活用して今まで測れなかった対象の熱物性を精確に測る技術開発のヒントになるかもしれません.そういった新たな研究の芽が一つでも増えるためにも,多くの人に単位の定義改定を知って貰えればと思っており,現在国内で立ち上がった国際単位系 (SI) のPR委員会の一員として,国際的なPR活動との調和を図りながら,啓発に努めていると頃です.
 11月の国際度量衡総会で決議されると,2019年5月20日のWorld Methodology Dayから新しい定義が施行になる予定です.より普遍的な定義になることで,「すべての時代に,すべての人々に」が時間的にも空間的にもスケールアップし,新しいステージを迎えようとしています.

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