食品,農産物そして麹の熱物性




日向野 三雄 (秋田県立大学)




 巻頭言を書くよう編集担当理事から御下命があり,正直の所,困惑した.「もうそんな歳になったのか!」との常識的な想いと,「口は災いの基」の生活を普段からしていてバチが当たったとの思いからでもある.
 さて,「今度,熱物性専門の学会が創設されるようだが,その準備会に行かないか」と上司の誘いを受けたのが確か,灰色の脳細胞に聴くと,昭和54(1979)年の冬だったようである.それまで熱物性値の必要性を身に沁みながら伝熱研究をしていた経緯があり,またこの頃から金属の熱ふく射性質,全半球放射率の精密測定法を開発し始めていたこともあり,興味津々,恐る恐る上京した.しかし,そこで会った大部分の方々は日本伝熱シンポジウムでよく見かける顔であり,ホッとすると共に学会創設に燃える人々の熱意に圧倒された.また他の学会と違って,女性研究者の多さにも驚かされた.それから丁度30年,日本熱物性学会は隆盛を極め,その守備範囲は創設当初の予想を遥かに超えているように思われる.
 創立30 周年を迎え、「新編 熱物性ハンドブック」が発行され、ますます発展している本学会ですが、これまで培われてきた熱物性という「量」に加え、人の感性や感覚を踏まえた「質」の問題を付加し、人の生理・心理反応をも視野に入れた人間環境系への取り組み、人が安全で快適に生活するために必要な熱物性と、解明されなければならない熱現象などを探求する取り組みにも研究範囲として広げていければと願っています。
 学会創設と同じ時期から15年間,筆者の測定対象物質は金属,それも高純度のそれであり,我が灰色の頭脳と同様,固い,硬い物質であって,物質名が指定されればその熱物性値も特定される,そんな単純な世界で暮らして来た.
 所が,丁度10年前から勤務するこの大学には工学系のシステム科学技術学部と農学・バイオ系の生物資源科学部の二学部があり,また両学部が約60km離れたキャンパスに在ることから,工農融合プロジェクト研究(学長プロジェクト特別研究費)が盛んであり,それらの研究にも巻き込まれている.工農のキーワードで共通する研究テーマを探すと,トラクター等,農作業用機械の改良や測地衛星を活用した自動運転法,除草ロボットや牛豚肉除骨ロボット等の開発,植物工場の最適照明・省エネルギー化など,云わば永遠に不滅の「硬い研究」から,生育中の植物,農作物や,農産物,それらの加工食品,秋田杉,木質バイオマスなどの利活用法など,云わば時事刻々と変化してしまう無常の「軟らかな,柔らかな研究」まで多数ある.またバイオ研究やセンサー開発,医工連携研究のテーマも多く見受けられる.
 これらの研究は生物・食品の科学・工学や生体医療工学の範疇であるが,どれも物性,特に熱物性が深く関わっており,本学会会員には興味深いものと思われる.
 しかし機械工学の産湯に漬かり,ミクロの世界はサブミリメータ・オーダーまでの理解しか出来ぬ硬い頭脳の筆者には,これら工農境界領域の学問,研究に非常に興味を抱きながらも,歯痒い思いがある.
 それは,蒸した酒米に麹菌が繁殖する数ミクロン・オーダーのプロセスを解明したいのだが,単なる熱・物質移動現象の理解だけでは当然,非力であり,蒸米の熱物性が,そして麹菌の,さらに菌が生成した物質たちの「何か(熱)物性と呼ばれそうなモノ」が風味豊かなコウジ(麹)を造るのに大いに関与しているのでは・・?との疑問が解けない苛立ちである.
 しかしバイオの世界の巧妙さ,複雑さを考えれば,歯が立たないのは当然であろうが,「物性としての”ヤハラカサ”考」(熱物性,19[1](2005), 22-25) と題する“さーもふぃじしすと(T)”氏のサロン記事と,第30期(2009年)会長の諸岡晴美先生の巻頭言,「熱の”量”と”質”」(熱物性,23[1](2009), 1) を読むと不思議に力が湧いてくる.若者に負けじ!?と年寄りの冷や水ならぬ美酒「雪の想いで」を嘗めつつ,空想に耽る今日この頃である.

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