「熱物性」雑感




佐藤 譲 (東北大学)




  「熱物性」なる言葉と出会ったのは20年以上前、熱物性学会(その頃は「研究会」だったが)に参加させて戴く様になってからだと思う。それ以来「熱物性」とは何だろう、との想いを持っていた。ものごとは名前だけで誰もが中身を理解できるとは限らない。広辞苑を引くと「熱物性」は見あたらないが、「物性」には「物質の持っている性質」との簡潔な記述がある。これだけでは具体的な像は見え難いが、よく見回すと学問の世界には実に多くの「物性」がある。「電気物性」、「磁気物性」、「光物性」、「音波物性」、等々、「物性」は何でも付けられる便利な接尾語にすら見えるが、どうやら比較的限定された学問分野における物理的な「物質の性質」を指している様である。では我らが「熱物性」はどうなのだろうか。巨大な基盤的体系である「熱力学」とはどう違うのだろう。世の中に数多の学会はあれども「熱力学学会」なるものは殆ど聞かない。これも不思議なことである。「熱力学」は拠るべき原理であって研究の対象ではないと云うことなのか?
 大学における講義科目を見ると、機械系や化学工学系の学科を中心に「熱工学」、「移動現象論」、「伝熱学」等があり、熱伝達関連のかなりの内容はこれらの科目で学習される様である。これらは、開講される学部・学科が非常に広範でレベルの格差も大きい「熱力学」とは異なり、かなり狭義かつ高度な専門性を有する趣がある。顧みると、若い頃は「熱物性」なる言葉をよく知らなかった筆者の専門は、金属工学、中でも化学反応により金属を作る「製錬」である。学問的な基礎は化学熱力学にあり、「熱力学」の重要性は骨身に沁みている。この製錬工程では液体金属、溶融塩、スラグ等の高温融体が主役であり、製錬反応における主要な研究対象となる。これらの融体を、化学的あるいは物理的性質のどちらの側面から主に見るかで対象は異なるが、それらの性質を括って「物理化学的性質」と呼ぶことが多い。その中で粘度や密度など、物理的な色彩の強い性質を「融体物性」と呼び習わしており、筆者にとって初の研究対象としての「物性」となる。金属工学分野には、製錬で作られた材料を対象にして、それらの機械的性質、電気的性質等を研究する研究者がいる。彼らの対象は「固体物性」であり、さらに細分化されて種々の「** 物性」となる。上の様々な「物性」の研究者は、その物性にさえ関係すれば、取り扱うモノには特に拘らない様である。電子デバイスの分野等では日々材料の革新が行われ、昔では考えられなかった有機物半導体まで出現している。この様な革新には新しい発想が必要であり、広範な横断的視野に立った研究の協力が欠かせない。我らが熱物性学会は、まさにその横断的世界の典型かも知れない。凡そ、この世に存在するモノには総て温度があり、それなりの熱を持っている。さらには多くの物理現象は温度や熱に深い関わりがある。そうなれば森羅万象が「熱物性」の対象ではないか。以前、狭い専門領域に棲息していた筆者は、最初に熱物性学会に接した時に、宇宙ステーションから食パンまでの、呆れるほどの間口の広さに驚いたものである。これも我が熱物性学会の特徴か。
 多くの熱物性学会員は、この学会に第一順位で所属しているとは限らない。機械学会等、メジャーな学会にも籍を置きながら、より高い専門性、或いは様々な出会いを求めて熱物性学会に集って来る様である。言うなれば、我らが熱物性学会は、熱物性研究のトップランナーの集団であると共に、家政学と金属工学の様な、全く別の世界の研究者が一同に会する場を提供する接着剤の様なものかも知れない。科学・技術の発展には異分野との交流が有効であり、本学会は小さいと雖も、大きな専門学会にはない場を提供してくれる貴重な存在であろう。只、異分野の集合体は、ともすれば求心力を失い易い。それにも拘わらず、本学会が発展的に30周年を迎えられたのは、「熱物性」なる接着剤の筋の良さに加え、歴代役員の並々ならぬ献身的努力と、会員の協力の賜であろう。感謝しつつ、更なる発展を願うものである。


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