四元素説から熱物性を思う
岡田 昌章 (筑波技術大学)
巻頭言なるものは、その道の大先生が書くものだと思っていたので、原稿依頼がきたときには驚いた。だが、確かに年だけはとったものだと気づいて2度驚いた。
機械屋でありながら、大学では「化学」の講義も担当している。昔と違って、高校時代には「化学」を勉強したことのない新入生が大勢いるからだ。そこで、高校の復習からスタートせざるを得ない。これが現実である。高校化学のテキストの最初に出てくるのが「四元素説」だ。古代ギリシャの四元素説では、「すべての物質は、土、水、空気、火の4つの元素からできている」とある。待てよ、ここで「土→固体」、「水→液体」、「空気→気体」、「火→熱」と考えてみると、これは熱物性学会のキーワードではないか!と一人で妙に納得する。そしてまた、「土、水、空気の熱物性」は地球温暖化予測のキーワードではないか!と2度納得した。
そもそも、高校テキストの最初に四元素説が出てくるのは、19世紀にいたるまで物質やエネルギーの本質がわかっていなかったことを示すためのようだ。しかし、四元素説こそ熱物性や地球温暖化の本質をついているのではないかと不思議な思いにかられる。
そんな私の思いはよそに、高校テキストは物質の本質は原子・分子であること、熱の本質はエネルギーであることへと進む。原子の発見もさることながら、私は分子の本質を解明したアボガドロという人物に妙に魅かれる。テキストには、彼が1811年に発表した「分子説」は長い間受け入れられず、それが認められたのは彼の亡くなった後の1860年だったとある。次に私が魅かれるのは、熱の本質がエネルギーであること(熱力学の第一法則)を解明したジュールとマイヤーの物語だ。熱力学の教科書では、熱力学第一法則を実証したジュールの実験(1848年)があまりにも有名だ。しかし、同時代にもう一人、マイヤーという人物も同じことを考えていた。私の手元にある「初歩者のための熱力学読本」(岡田功著)には、ジュールとマイヤーの物語がとても面白くわかりやすく書かれている。(この本が絶版であることは、なんとも残念である。)マイヤーは、我こそが熱の仕事当量の発見者だと主張したが受け入れられずにこの世を去ったとある。一方、ジュールは情熱的な実験を重ね、当時としては極めて正確な測定値を得て、熱力学に不滅の名を残すに至ったとある。ここで「悲劇の人」と称されているマイヤーがもともと医師であって、人の生体が熱機関である(熱を仕事へ変換する)ことに着目していたことは機械屋の私としては興味深い。
さて、大学4年の卒業研究テーマ選びで最後にじゃんけんに負けたことがきっかけで、私は冷媒(当時はフロンガス)の熱物性研究に関わることとなった。あれは1975年の春のことだ。奇しくもその少し前、1974年に、ローランドとモリーナがフロンガスによるオゾン層破壊を提唱した。しかし、それは実験室では実証されても、地球のオゾン層でそのようなことが起こるとはすぐには受け入れられなかった。当時の私はといえば、そのような話は耳にしたものの、優れた冷媒であるフロンガスが悪者になるとは夢にも思わずに、フロンガスの熱物性研究に明け暮れていた。
1982年に昭和基地で大気中のオゾン全量の測定値が異常に少なかったが、観測者も最初は観測器の故障かと疑った。1978年の打ち上げ以来、NASAの気象衛星もオゾン全量を観測しながら、常識では考えられない数値は誤データとしてカットしていたために、南極上空のオゾンホールに気づかなかった。しかし、たび重なる観測がそれまでの常識をくつがえし、1986年になってあの衝撃的なオゾンホールの発表へとつながった。オゾン層破壊説の提唱から実に12年が過ぎている。その少し前、1984年の春に私はフロンガスの熱物性に関わる研究で学位をいただいた。じゃんけんに負けてから9年目のことである。
それからさらに10数年の月日が流れ、ローランドとモリーナは1995年度のノーベル化学賞を受賞、一方フロンガスは1996年までに全廃された。私の学位論文も世の中から忘れ去られていくのであろう。今も、地球に優しい新冷媒(ノンフロン)の開発を目指して研究が続けられている。「伝熱」(日本伝熱学会誌)の最新号(2010.7)にもその特集が組まれている。
振り返ってみて、「人類の歴史を変えるのは粘り強い実験と観測の繰り返しだ!」と改めて痛感した。熱物性研究においても然りであろう。若い研究者への贈る言葉としたい。