新しい時代の”ローカル”性




長島 昭 (慶応義塾大学名誉教授)




脱ローカルから
 これからの熱物性の研究や応用を考える時に、昔抜け出ようとしたコンセプトにも、意外に見直しの余地があると思うものがある。”ローカル”もその一つ。ひとはだれでも自分の関わる仕事が注目を浴びてほしい、世界の中心に浮かび出たいと願う。熱物性はともすると基礎だとか境界だとか呼ばれ、関わる人自身も、良い意味でも悪い意味でもローカル意識にとらわれがちである。熱物性という名称さえ通念にはなっていなかった頃は、さまざまな分野ごとに熱物性、熱特性、熱定数、熱的性質、その他混在して使われ、ローカルの混在集積地であった。
 あるときにデンマークの美術館に朝一番で行って、だれも居ない彫刻館に足を踏み入れた。片隅にある代理石のヴィーナス像に、高い天窓からの一筋の朝日が射して、すべての中心がその隅にあった。太陽と窓の位置を工夫すればローカルが中心になれる。
 中心化で昔考えたのは、あらゆるローカルへ通じる道も交差点ではひとつになる、”交差点”をつくればよいということであった。交差点に来れば、すべての情報がそこを通り過ぎていく。年に一度はシンポジウムで情報交流、あるいは情報を辿る人脈を形成できる。
 熱物性学会が発足して10年以上経ったころ、その次のコンセプト”知的基盤”が生まれた。小野晃氏ほかの卓見が効いている。より大きなプロジェクトに組み込めば全体が自然に世界の注目を浴びる。経産省を中心とした知的基盤整備計画は、産業や社会の知的インフラを作る意気込みで2001年に10年計画を発足させた。電力、交通、通信など社会のハードインフラに対して、計量標準、材料データ、化学物質データなどのソフトインフラを整備する計画であった。

新しいローカルの魅力
 熱物性学会の30周年を迎えて振り返るとき、第3番目のキャッチフレーズとして”ローカル”の魅力を感じる。
 あるときハッと気がついたが、むかし田舎から東京へ出て、今では田舎の人脈は消え掛けている。長く東京郊外へ住んで、中央や国際の方を向いていたので、離れた所には親しい人々がいても、足元の街に友人が居ない。
 熱物性はさまざまな形で”ローカル”を考えることができる幸せな位置にある。センサーでもナノでもバイオでも、面白い先端ローカルは熱物性に関わっている。地域としてのローカルは、欧米からアジアへ重心が移る今、ローカル性を押し出す最もよい時期である。日本国内でも、自然環境や食品や生活などの課題でも、人材予備軍でもローカルな場所にチャンスが増えるであろう。また巨大施設は大都市周辺には作れない。
 研究テーマでは、先日のレアアース禁輸騒ぎで分かるように、従来ローカル研究であった代替物質の研究は緊急であり、その製造にはすべて熱物性がかかわる。
 ローカルの特性は、注目を集める前に方向転換できる身軽さにある。個人のアイデアを活かしやすい。委員会などで大勢の賛成をとりつける時間浪費やテーマ焦点の拡大あいまい化がない。ローカルを大切にしたい。


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