天地不仁




大久保 英敏 (玉川大学)




 老子の言うように天地は非情である.3月11日は歴史に残る日となった.日本人が恐れ,祀ってきた山の神も海の神も人を救ってはくれなかった.しかし,人は人によって救われる.助け合う力がこの国にはある.地震,津波の自然災害に続き,原子力発電所に事故が発生した.20世紀に人類が手に入れた核エネルギーを平和利用するための設備である原子力発電所から放射線が漏れ続けている.平和利用の発電設備が人々の生活と健康に甚大な影響を与えている.
 3月10日もまた日本人にとって忘れられない日である.1945年3月10日,東京大空襲によって下町が焼き尽くされた.20世紀の不幸は世界を巻き込んだ大きな戦争が齎したものであったが,戦争で荒廃し,被爆したこの国を復興させたのは,戦後を生き抜いた人々であった.東京大空襲から66年が過ぎたが,戦争の悲惨さは語り継がねばならない.同じように,今この時のことも語り継がねばならない.
 20世紀は自然科学が大きく発展した時代でもあった.マックス・プランクが黒体放射の問題を解決し,量子力学の扉を開いたのは19世紀が終わろうとする1900年の末のことであった.さらに,相対性理論が発表され,原子構造の解明が進み,核分裂が発見される.ウランの核分裂は第2次世界大戦直前の1938年に発見された.原子核物理の進歩によって,人類は核のエネルギーを手に入れたが,人類にとっての不幸は,この時代が戦争と重なったことである.核エネルギーは平和利用ではなく,核兵器として使用された.1945年7月16日に原爆実験が成功し,翌月,広島にウラン爆弾,長崎にプルトニウム爆弾が投下された.原爆実験に成功したオッペンハイマーは「原子力は生と死の両面を持つ神である」と語っている.現代物理学の基礎を築き,発展させた科学者達は原子核物理学が生み出した原子力に苦悩する.原子力発電は核エネルギーの平和利用の一つであるが,原子力エネルギーを制御し,安全性を高めることが,現在も最優先課題である.
 20世紀の後半は大量生産と大量消費によって豊かさを得,人口も増大した.ただし,得られた豊かさは物質的な豊かさであり,精神的な豊かさは戦後の方が勝っていたように思える.大量生産と大量消費を実現するためには,エネルギーの供給が不可欠であるが,現状を見れば,20世紀に発展した文明を今後も維持することは難しい.21世紀は持続的社会の実現が課題であるが,10年が過ぎた今もはっきりとした道は見えてこない.筆者はハードエネルギーパスからソフトエネルギーパスへの移動を実現することが望ましいと考えるが,そのためには,農耕によって食料を生み出すことに成功したように,エネルギーを生み出すことが求められる.幸い,まだ時間は残されている.エネルギーの需要に対して化石燃料の供給が限界になるのは22世紀前半との試算もある.化石燃料資源の供給は,今世紀後半から22世紀前半の間に石油,天然ガス,石炭の順にピークに達すると考えられている. この間に,化石燃料の低質化によって引き起こされる環境汚染を防止する技術の開発,原子力エネルギーの制御と安全性の確保,新エネルギーの開発を実現する必要がある.さらに,理工系離れが現実として起きているが,資源の無い日本で環境・エネルギー問題を解決するためには人材の育成も不可欠である.
 四季のある日本では,桜と新緑の季節が過ぎると,梅雨となり台風が来る.昨年は猛暑であった.紅葉の季節が過ぎると雪が降る.科学技術の限界を感じるが,今年は「天地は仁」であることを祈るしかない.


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