科学・技術と人材育成について
佐藤 讓 (東北大学)
この度,思いもかけず第33期会長を拝命いたしました.田中明美 副会長,事務局担当の山田純 副会長,役員諸兄と共に,今年一年,どうぞよろしくお願い申し上げます.
さて、昨年は数百年に一度と言われた東日本大震災による,地震,津波,福島第一原発事故,と未曾有の危機に襲われました.殆どが津波による,死者・行方不明者は2万人に近く,原発による避難者も15万人に上ります.私の住む宮城県だけでも1800人もの方々がいまだに行方不明です.謹んで深い哀悼の意を表します.
この震災にタイの洪水も重なり,自動車を始め多くの製品の生産が止まる等,現代社会における製造業の幅広い相互依存関係と,事故や災害時の影響の深刻さが明らかになりました.また円高もあり工場の海外移転が加速しています.原発事故も終息にはほど遠く,原発自体の位置づけも見直されそうですから,エネルギー問題の最適解を得ることも困難です.グローバル時代における我が国の在り方そのものが問われている気がしてなりません.
日本は20世紀の終盤には世界でも大きな成功を収めましたが,そろそろモデルチェンジを迫られている様です.我が国が今後,何を「メシの種」にしていくのかが喫緊の課題です.21世紀に入り,いわゆる「新興国」の台頭が目覚ましく,モノ作りにおいても先進国に対する追い上げが急になっています.周知の様に日本も労働集約型の低付加価値品生産からはかなり撤退しましたが,電機・自動車等でも韓国や中国に追いつかれつつあります.今後は新興国でも自前の技術開発が加速すると予想され,我が国技術の優位性は揺らいでいます.企業経営の刷新と共に,創造的技術革新が必要になります.
これに対し,先進諸国はモノ作りから脱却しソフトで稼ぐべき,あるいは日本は世界一の純債権国として配当で食うべき,等の論調もあります.しかし製造業の衰退した国の国際的地位は低下しますし,債権国の立場は競争力がなければ保てず,配当の多くは再投資に回ります.例えば,米国は高付加価値のコンテンツ産業で稼ぐ国,とのイメージがありますが,実態は高い競争力を持つ大農業国であり,かつ宇宙・航空・軍事等の分野では圧倒的に高い技術を有する国でもあります.日本もソフトを含む高付加価値の製造業と,それを支える科学・技術がなければ国際競争を勝ち抜くことは困難です.
では独創的な技術を育てるためには何が必要でしょう.合成繊維業は,一時は衰退産業とされましたが,他では真似のできない炭素繊維や衣料用高機能繊維等の開発により高収益の先端技術産業になりました.これは昔の花形産業だった頃からの長期間の技術の開発と蓄積,それを引き継ぐ人材の確保にあったと思われます.革新的な技術の開発には地道な人材育成が何より大切です.
人材の育成について,大学人として気になることがあります.大学では,近年ポスドクの増加と若手教員への任期制の導入が顕著です.今の若い人は学位を取得しても直ちに正規教員(助教等)に就くことは難しく,短期のポスドク等で凌がざるを得ない例が増えています.その成果をキャリアアップに繋げることも多くは期待できません.助教に採用されても,多くは5年とか7年とかの任期制で,再任はあっても2回等の限度つきです.
以前なら、助手に採用されれば昇進せずとも制度上は定年まで保障されました.とはいえ,教授ポストは昔から狭き門,途中で転出する人が多く実態は今と大きくは違いません.しかし,制度が与える心理的効果は異なります.失職しそうな期限が目の前にあれば,手っ取り早く論文の数を稼ぐ安易な研究に走り,競争的資金獲得のために時流に乗ったテーマに集中します.時間の掛かる,しかし科学・技術の革新に繋がるかも知れない,自由な発想に基づく地道な研究は敬遠されがちです.30歳前後の大事な時期に将来への不安を抱えていては,結婚すらままならないと感じることもありましょう.それを察してか,学生も博士課程に進みたがりません.大学から優秀な人材が離れて行きそうだと心配しています.
この現象は社会全体に蔓延する不安定雇用の一形態であり,社会制度の問題として考える必要がありそうです.日本の将来の「メシの種」のためにも,若い人達に安心できる研究環境を整えてやりたいと願っています.
末筆ではありますが,会員各位のご健勝を願い,学会活動へのご支援・ご協力をよろしくお願い申し上げます.