英語ディスカッションマシン




長坂 雄次 (慶應義塾大学)




 最近の大学院生は恵まれており,国際会議でも発表する機会が増えてきたように思う.このことは,研究成果の公表という意味は勿論だが,学生の経験としても非常に良い効果があるのは間違いない.だいぶ以前に,長年良く知っているヨーロッパの研究者が,私の研究室の学生が発表するのを聞いて(冗談込みで),次のようなことを言った.「実験装置は最高.結果も素晴らしい.英語の発表も理解できる.でもディスカッションになった瞬間地に落ちる.なぜだ?」つまり,英語が正確に聞きとれず,自分の言葉で答えられなかったのである.それから多少状況は変化しているが,質問をあまり正確に聞き取れないことは変わっていない.
 英語の力が足りないからもっと勉強しろ,と言ってしまえばそれまでだが,私は「英語が母国語でない人たちの英語に慣れていないこと」が大きな原因の一つだと以前から感じている.国際会議に出席すればわかる通り,イギリス人やアメリカ人の「本物」英語を聞くのはむしろ稀で,インド人,中国人,韓国人,フランス人...そして日本人の「ニセモノ」英語が飛び交っているのが普通である.一方,学生が日本で勉強する英語は「本物」英語である.最近は,TOEICでもオーストラリアやカナダ等の英語が入っているそうであるが,現場ではそんなレベルでは役に立ちそうもない.
 最善の解決方法は,質の高い国際会議でたくさん発表し失敗して経験を積み,さらに研究室には多国籍の外国人ポスドクが大勢いて,常に多様な英語に接していることである.しかし,このような環境に居る学生は非常に限られている.修士の学生なら在学期間に1回でも国際会議で発表できれば,かなり恵まれているだろう.
 この問題を技術的に解決できるのが,私が以前から考えている「英語ディスカッションマシン」である.その基本構成要素は,音声合成ソフト,パソコン,スピーカー,サーバーである.最もキーとなる要素は,各国の英語の訛り方(とりあえず非常に典型的な発音の型だけでも良い)を加味した音声合成ソフトである.現時点でも,アメリカ英語,韓国語,中国語などの外国語対応の音声合成エンジンは,それほど高くない値段で販売されている.この音声合成エンジンを改良して,インド英語版,中国英語版,ドイツ英語版...等を開発すれば良いわけである.その使い方は,次のようである.(1) 研究室メンバー全員で,テーマ毎に随時(日常的に)仮想質問の英文をサーバーに蓄積していく(できればデータベース化して,後で追加整理しやすいようにしておく).(2) 発表練習時に音声合成ソフトの入ったパソコンとスピーカーを準備する.(3) 質疑応答練習の際に,蓄積していた質問文を適宜サーバーからランダムに呼び出し,ランダムに選んだ各国訛りの合成ボイスで質問する.(4) 練習中の学生が見えない壁面にその質問文章をスクリーン映せば,聞いている他の学生にも同時に効果がある.どうだろうか?
 発表練習は,繰り返しやって,論理構成を練り上げ,発音等を一つ一つ丁寧にチェックしていけば,ある程度理解してもらえるレベルになる.しかし,このようなディスカッション練習は普通できない.だから最初に書いた問題に遭遇することになる.まずは基本のきれいな英語からというのが筋かもしれないが,「現場叩き上げ主義」の私からすると,限られた時間内の解決にはならないと思う.野球のピッチングマシンの進歩で,バッターの能力がかなり向上したのと同様に,このマシンが開発され普及すれば,学生の国際会議現場での質疑応答能力は,かなり向上すると思う.私の知る限りではこのようなマシンはまだ販売されていない.誰か研究して製品化にチャレンジしないだろうか.熱物性研究でないのがやや問題だが...

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