熱物性学会と関わって




平澤 良男 (富山大学)




 私が熱物性学会(当時はまだ熱物性研究会?)に参加あるいは関わりを持つようになったのは,昭和55年(1980年)青山会館で開催された第1回熱物性シンポジウムに参加したのが始まりですから,もう34年前になります.当時,私は昭和53年に修士(レーザーフラッシュ法による熱定数測定に関する研究)を修了した後,富山大学工学部に助手として勤務しておりましたが,本当の切っ掛けは,学会(確か,金沢で開かれた「日本伝熱シンポジウム」)の後,当時東京工業大学教授であった片山功蔵先生が富山大学工学部にフラッと寄られたことでした.片山先生と言えば,ご存知の方も多いかと思いますが,・・・酒豪・鉄の肝臓?・・・相当夜遅くというか早朝までお付き合いさせていただいたことを良く覚えています.その席上で,「今度,熱物性シンポジウムというのを開催することになりました.それに参加してみたらいいですよ.」,「ちょうど,東工大にあなたと同じくらいの年齢の若者が助手でいるので宿の予約をしてもらいますから,ついでに友達になっちゃってください(若者 = 現,横○○大のU先生ですが) 」.第1回熱物性シンポジウムは,講演室は青山会館の大ホール?1室のみで,参加者全員が全ての発表を聴講し,質疑応答をする形式であったと覚えています.熱物性研究会創立の中心メンバーである方々が前方に陣取り,活発なやり取りでありながらもどこか家庭的な柔らかさがありました.
 平成に入るくらいまでワープロや画像処理ソフトはもちろん充分で無い時代ですから,講演論文集原稿は手書きの図と手書きの文章あるいは和文タイプライターでということになります.製図用のカラス口(若い人はもうご存じないかも知れません)やドロップコンパスでの測定値のプロット,数字やアルファベット文字の書き込みのための七つ道具を自作して書き込んだこと懐かしく思われます.誤字脱字があったらそれこそ大変です.しかも頁の終わりの方だと泣きたくなります.今なら,さっと割り込むか消去して修正・追加修了です.そんな思いもあるため,自室の机の引き出しには,各種太さのペン,烏口,自作アイテムなどなどがまだすぐ使えそうな状態で・・・と言っても二度と使いそうにもありませんが・・・
 第15回熱物性シンポジウム開催に関しては,竹越先生が実行委員長をされた時,総務担当としてお手伝いさせていただきました.この時,まさか自分が熱物性シンポジウム実行委員長としてシンポジウム開催に助力することになるとは思っていませんでした.いざシンポジウム準備に取りかかると以前の経験が随分参考になっており,物覚えの悪い自分でもなんとか吸収しているものだと妙に感心した次第です.
 熱物性学会の特徴としては,やはり研究分野の多様性だと思っています.学会発足当時から, 「熱物性という一つのキーワードの元に様々な分野の研究者が一度に集い,研究発表・議論を行うことで,幅広い学際分野間の交流を図り・・・」という大きな目標掲げられてあったと理解しています.様々な研究分科会活動も活発で,毎年のシンポジウムにおいても各分科会メンバーが中心となったオーガナイズドセッション(OS)が開催されており,最近のシンポジウムでは10個以上のOSが設定されて発表件数も非常に多いセッションが目立つようになっています.セッションにおける発表,質疑応答も活発で,研究分野の融合が機能し続けていると感じております.
 学会員数は以前から500名前後という数字があまり変化していないようですが,良く言われているように「ちょうど良いスケール感」であると思っています.家族的な柔らかさはあるが,異分野での重要な事柄を理解していくと思ってもみなかった発想の転換が生まれることも多いにあり得ると思います.熱物性という分野は,非常に地味な分野ですぐ役立つかどうかわからない部分もありますが,応用分野で何かをしようとすると必ず物性が必要になり,重要さを思い知らされるものです.会誌熱物性の論文,特集記事も熱物性学会の特徴が良く表されていると思います.それぞれの研究分野の特徴が明確に読み取れ,それを熟読しながら熱物性の重要性の再確認,分野融合から生まれる新しい発想・・・そんな熱物性学会・熱物性会誌が理想かも知れません.

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