100 MPa,773 Kの水素の熱物性測定に参加して




新里 寬英 (九州大学)




 光陰矢の如し,水素の熱物性測定に関わり,あっという間に9年超が過ぎてしまいました. NEDOプロジェクト「水素先端科学基礎研究事業」(2006年度から2013年度)の一環で,常圧から超高圧(100 MPa)かつ常温から高温773K(500℃)の条件下の水素の熱物性を測定するというミッションで測定技術および装置の開発,製作に専念し,実測に基づくデータベースの構築に参加するというまたとない機会を与えられました.
 水素の熱物性データは実用化開発では軽視されがちですが,システムや機器の精度の高い設計には必要不可欠で,安全性の立場からも実測データに基づいた信頼性の高い推算法による値を用いるべきです.
 高圧力・高温の条件下で熱力学性質(PVT性質など),輸送性質(粘性係数,熱伝導率など)の熱物性値を測定するためには,既存技術は確立できていても制約や検討事項が多く,高圧容器の製作に関しては,高圧ガス保安法に準じた強度設計,監督部署への製作前の申請および製作後の届け出などの法律上の手続き,製作時には高温までの加熱方法の制限,計測に関しては,高圧力センサの精度および分解能,温度センサの耐圧性および防爆対策による精度の劣化,高圧容器から信号線を取り出す際の気密性の確保,電子機器の耐圧性,等々の課題があります.これらの制約や難題をクリヤーした後で測定装置を完成させるわけです.さらに,高圧力・高温の状態の水素を扱うので安全対策を講じ,測定に際しても十分安全に気を付けて行う必要があります.準備万端整えて測定を始めることになります.しかし,高温での実験を行うと実にいろいろな予期しない現象に遭遇します.ここでは一例を紹介します.
 高温で測定容器(肉厚22.5 mm)に水素を充填した後に圧力を一定に保持しなければならない実験で,充填後,直ちに圧力の降下が始まり,わずかな変化速度ではあるが降下を続けるため,圧力を維持できない現象がありました.この現象はヘリウムや窒素では起こらないことを確認しました.この現象は当初,容器と配管の溶接部や締結部からの漏れであろうと推測されましたが解決に至らず,ずいぶん悩みました.そこで,継ぎ目が全くない容器(ただし配管の接続部は室温)を用い,高温に保持した状態で水素を充填し,閉じ込めた後の圧力の変化をモニタするという簡単な実験をしたところ,容器内の圧力は降下を続け,ついに10〜20 Pa程度の真空に達しました.充填された水素がすべて,金属の壁を透過したのでこの結果には素直に驚きました.この現象は水素に特有で他の気体では起こらないことを確かめました.水素が鉄壁を透過する現象は150年以上前に報告されており,水素の透過性に関する金属材料の研究がなされ,水素の分離技術や純度を高める技術に利用されています.高温水素を扱う際の工業材料に関する透過率のデータは安全設計に重要ですがばらつきが大きいのが現状です.
 100 MPa,773 K(500℃)までの条件下の輸送性質測定に用いた技術は既に確立された技術です.非定常細線加熱法は世界で初めて水素の熱伝導率測定に適用されました.粘性係数測定には細管法を採用し,石英細管(内径0.1 mm,長さ500 mm)を用い,測定用細管は石英管と金属管を接合する方法で試行錯誤を経て完成し測定に供しました.現在は半円弧振動細線法を初めて水素の粘性係数測定に適用しています.
 水素はクリーンな2次エネルギーとしての普及が期待され,家庭用燃料電池はすでに普及が先行し,燃料電池自動車(FCV)の販売がついに開始され,水素社会の実現がいよいよ始まり,2015年からは本格的にFCVの普及開始期に突入しています.水素の熱物性測定の成果として,データ閲覧用WEBを作成し,かつ関数化することにより,MS-Excelや汎用プログラムに組み込める使い勝手の良いデータベースを提供することができました.
 既存技術を特殊な測定対象や測定条件に適用あるいは応用を広げる機会に出会えば果敢にチャレンジすることをお勧めします.特に若い研究者には,開発段階で起こるであろう様々な事象や問題を乗り越えていっていただきたいものです.

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