測定の信頼性を評価する




東 之弘 (九州大学)




 冷媒は,冷蔵庫やエアコン,ヒートポンプの作動媒体として工業的に利用されている流体です.最近では,地球温暖化防止のために,現在使われている代替フロン類に代わる次世代冷媒を見つけ出すことが急務となっています.新たに開発された冷媒は,新しく登場する物質ですから,冷凍空調機器の設計開発に使用される熱物性データの整備が未だ十分ではありません.また,冷媒の熱物性データは,機器販売や設備に関係する法整備にも使用されるので,国際標準化されるべきものと考えられています.しかしながら,流体熱物性を精度よく,短期間で計測し終えることは容易ではなく,現実では,そのデータを評価する事はとても煩雑な作業と経験が必要となっています.
 特に問題となるのは,「データの信頼性をどのようにして評価すべきか」ということです.実は長年の課題ともいわれる難題であり,このことを,圧力容器の設計や,配管内を流れている流体の温度を圧力センサで計測するときに用いる飽和蒸気圧測定を例に考えてみましょう.一般に,流体の飽和蒸気圧は温度の関数として表現されるので,一定に温度制御した恒温槽の中に冷媒の入った圧力容器を設置し,圧力が安定してから測定していくのが簡単な方法です.
 さてここで,2人の測定者がいるとします.一人は,4月に研究室配属になったばかりの大学4年生.実験経験は少ないのですが,研究室には,過去の先輩から受け継いだ,温度0℃から100℃の間を0.01 K刻みで自動的に昇温させることができる飽和蒸気圧自動測定装置があります.温度センサも圧力センサも圧力容器に内蔵で,最終的には,グラフと表になって実験結果が手元にプリントされ,1000点近いデータも1日で測定できます.過去の研究室の先輩が論文を発表しているので,装置の理論や仕組みがわからない彼でも,測定できるわけです.
 もう一人は,定年前のベテラン研究者で,容積一定の圧力容器に冷媒を充填し,職人芸で恒温槽の温度を0.01 Kのばらつきで1時間程度安定にし,その後,圧力の安定を待ってから,圧力測定の1次標準器として使われる重錘型圧力計で飽和蒸気圧を測定します.重錘型圧力計の取り扱いは,センサの自動測定に比べると煩雑で,1点の測定に時間がかかるために,結局,1日で10 K刻みのデータが8点しか取れませんでした.この2人が,お互いに同じ物質の飽和蒸気圧を測定したのですが,温度依存性の傾向は一致したけれども,お互いのデータは残念なことに微妙にずれている結果となりました.私はこの2つのデータの評価で,頭を悩ませることになったわけです.
 測定データの評価を行うにあたり,測定の不確かさ,試料の純度,そしてデータのばらつきなど,評価項目はいろいろあります.これらは論文からも評価可能ですが,実際には論文だけからでは伝わらない情報も気になります.実は,私が一番欲しいと思っている情報は,測定者がどのような人物なのかという,抽象的な情報かもしれません.今回のこの2種類のデータは,まさに学生が取得する最新のデータ測定と,職人が測定する古典的なデータ測定を対比しているように思えます.コンピュータを使った自動計測は,最近はやりで,物性計測の目指す一つのゴールでしょう.同じ方法,同じ条件で,個人差無く測定をしてくれるわけですから,普遍的で再現性の高い測定ができます.しかし,ある日突然,計測器に経年変化が生じた場合,データには大きな異変が起こらない限り,その系統的な偏差に気づくことは難しいかもしれません.その場合は,データの違いに気づくまで,異なるデータを報告し続ける可能性もあるのです
 近年,コンピュータやロボット,AIやビッグデータが研究の中心におかれ,コンピュータが人間を超えてしまうことが現実化しつつあります.物性計測の分野も,現状で思いつく欠点を改善していけば,結局は人間の仕事は無くなるかもしれません.ロボットやコンピュータのミスを見つけることさえもロボットが行なってしまう時代が,いずれは来るのかもしれません.その時は,職人芸もロボットがしてしまう作業となるのでしょうか.

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