基礎研究
宮本 泰行 (富山県立大学)
日本人のノーベル賞受賞者が受賞時あるいはインタビュー時に必ずといっていいほど取り上げる事柄がある.それは 「基礎研究の重要性を理解し,科学研究費予算をあげてほしい」ということだ.今年度ノーベル生理学・医学受賞者の本庶佑氏も,やはり基礎研究の重委性を訴え,ガンの免疫治療薬「オプジーボ」の特許料やノーベル賞の賞金などを活用して,若手向けに1,000億円の研究基金を京都大学内に作るという.こうした先駆者たちの基礎研究への危機感は体感と共に数値にても裏付けされている.文部科学省の統計(科学技術·学術審議会学術分科会第9期研究費部会第1回配布資料)によれば,基礎研究を支える科学研究費の新規採択率は,2011年度28.5%から減少を続けて2016年度には26.4%に,予算額も2,633億円から2,273億円に削減されている.また世界の主要科学誌で日本の論文の占める割合も減少傾向にあるという統計結果もある.大学における若手教員の雇用も,任期付きと任期無し教員の人数がここ10年で逆転している.16年にノーベル生理学·医学賞を受賞した大隅良典氏は「若い研究者の現在の境遇は日本がノーベル賞を受賞する確率を引き下げる」と語っている.
こうした状況を危惧してか,昨年からは科学研究費の予算はやや増加傾向にあるというが,更なる改善を期待する.基礎研究による成果は社会と産業を今日まで大いに発展させてきており,基礎研究の衰退は国力に大きな損失をもたらすことは明白である.即座に商業的な利益を生み出さない基礎研究に対する世間の風当たりはやや厳しいかもしれないが,長期的には商業利益も当然生み出し得るし,我が国の国力に還元されるリターンの大きな活動でもある.当該分野なら熱物性値の測定や評価,および熟物性モデルを活用した各種の解析などがそうした活動の例として挙げられるが,古より産業革命前夜のブラックによる熱容量の発見がワットの蒸気機関の発明につながり,ジュールの仕事当量の解明が熱力学の第一法則の定式化につながったように,熱物性値の信頼性の向上がエネルギー関連技術の進歩を後押してきた.
最近でも,今年約130年ぶりに実施される質量の定義改定に,産業技術総合研究所の研究者が極めて高精度なプランク定数の測定で決定的な貢献を果たしている.こうした度量衡は,計量計測技術の最上位に位置するいわば基礎研究の最先端であり,19世紀から弛まなく続く高精度化の活動の成果物である,度量衡の改定は,新技術開発や教育へのインパクトも大きい.科学研究費の予算策定にも,こうした日本人研究者の活躍が反映されることを切に願う.
ところで,基礎研究にはもう一つ,特筆すべき側面がある.それは基礎研究が自然を解明し,人類社会にとってよりよい環境を模索する活動であって,研究者が根底で利他の思いを共有している面である.筆者の関連分野でも,熱物性値を普及する上で重要な熱力学状態方程式を,すべての物質について最新の相関技術で再整備する活動を主導している米国人研究者がいる.当人に話を聞くと,師から受け継いだ科学技術の継承・普及と利他の思いが,行動の中心にあるそうである.彼の活動への共感は世界中に広がっており,我が国も含めて多くの国々の研究者が活動に参加中である.こうした活動が,やがて古のvan der Waals状態方程式に匹敵する普遍的モデルの開発成功につながるかもしれない.
基礎研究は偉大な歴史の積み重ねの上にあり,実績ある伝法や作法が少なからず存在する.熱物性研究もまた然りである.本学会は,そんな伝統ある熱物性分野における大先輩の研究者と若手が壇上を共有し,意見を交わすことが出来る貴重な機会である.筆者も学会で先生方と情報を共有し,自身の研究の信頼性と必要性を謙虚に検証しながら,社会に還元しうる有意義な成果を発信したい.そうして微力であろうと,将来ある若い研究者たちが研究費の確保や雇用の改善等,基礎研究をしやすい環境を確保できるよう,基礎研究の重要性に対する理解を少しでも世間に広げていけたらと思う.本庶氏の記事を読みながら,改めてそのように実感した次第である.