高温熱物性研究からの雑感




須佐 匡裕 (東京工業大学)




 2018年11月名古屋で開催された第39回日本熱物性シンポジウムでは,オーガナイズ・セッション「高温融体と材料プロセス」の発表件数は23件にのぼった.このセッションは約1.5日をかけて行われており,件数は同シンポジウムのなかでも最大ではなかったかと思う.これはひとえに,セッション・オーガナイザーの方々のご尽力の賜物であると,心より感謝している.
 私自身がこのような分野に携わり,かつ興味をもったのは,東京工業大学工学部金属工学科の卒業研究のときである.1970年代当時のジェット燃料には不純物として硫黄が含まれていて,海上を飛行するときに硫酸ナトリウムがタービン・ブレードなどに付着し,その腐食を加速するという問題が起こっていた.その現象を解明するために必要なデータということで,私は,「溶融塩中の酸素の透過度の測定」というテーマをいただき,卒研に取り組んだ.修士では,「固体および液体スラグの熱伝導率の測定」に取り組んだ.ちょうど「省エネ」という言葉が市民権をもち,鉄鋼会社においてもそのような対策を実施し始めたころと思う.学生時代は本当に実験に打ち込んだ.いずれのテーマも始めたばかりのころは,失敗,失敗,失敗・・・の連続であったが,とにかくバカになって実験をしまくった.そうこうしているうちに,ようやく納得のいくデータが出始め,データがいろいろな挙動を示し,なぜそのような挙動になるのか考えるようになった.それが面白かった.ただ,「そういうデータがその後どのように使われるのか?」まではあまり気にはしなかった.
 修士課程を修了した後,私は一時,民間企業の研究所に所属したことがある.ときのハイテク産業であった半導体集積回路のプロセス開発が私の業務であった.業務の一環で,たとえば,シリコン基板中にヒ素の拡散領域を形成するときには,どれくらいの量のヒ素をどの程度の加速電圧でイオン注入し,そのあと何℃で何時間アニールすれば所定の拡散領域が形成できるのか,コンピュータシミュレーションで計算した.このときはじめて,物性値の産業への関りが実感できたように思う.最近は,研究の社会的意義を教員に説明してもらい,十分に納得できないと実験を始められないような学生が増えているように感じる.「手足を動かしながら,自分でものを考える」のが学問をする一つの方法だと思うが,どうもそれが難しいようだ.そういえば,大学内でも「研究」という言葉は頻繁に聞くが,「学問」という言葉はもはや死語になったごとく,聞かない.
 ところで,鉄鋼分野において高温熱物性研究を牽引してきた一人が元 Imperial College London 教授の Kenneth C. Mills 博士である.Bessemer Gold Medal を授与されるほど偉大な先生である.その Mills 先生が National Physical Laboratory にいらっしゃったころ,私は彼の下で2年間ほど過ごさせていただいたことがある.その私の大恩人が昨年ご逝去された.高温熱物性の研究者としては喪失感が大きい.
 Mills 先生は,とにかく情報収集能力がすごかった.毎月100~200報の論文のアブストラクトには目を通されていた.目に留まった論文は,中身をすべて確認されていたことだろう.その中には日本語の論文も含まれていて,何回か部分的に翻訳して差し上げたことがある.そのような研究方針に基づいて,Thermodynamic Data for Selected Sulphides, Selenides and Tellurides (1974),Slag Atlas, Second Edition (1995),Recommended Values of Thermophysical Properties for Commercial Alloys (2002) などの貴重なデータ集を出版されるとともに,お亡くなりになる直前には,鋼の連続鋳造用モールドフラックスに関するThe Casting Powders Book (2017) を出版された.この本は535ページから成る大著であり,彼の晩年の研究人生のすべてをつぎ込んで執筆された感がある.
 今後は,Mills先生らが築き上げてきた高温熱物性の研究を私たちが発展させねばならないが,学生には,まず実験を楽しんでもらいと心から願っている.

topへ