熱物性学会と私
長野 方星 (名古屋大学)
昨年の第39回熱物性シンポジウム(名古屋)の実行委員長を務めさせていただいた.普段は熱物性学会員の平民(たまに評議員)の私が,瞬間的に理事(シンポ担当)になり,また平民に戻った.そんな立ち位置なので皆さんからの認知度の低い私であるが,意外にも熱物性学会との関わりは長い.特に熱物性シンポジウムの参加率は結構高いはずなので,この機会に振り返ってみた.
1997年,学部4年(慶應大の長坂研に配属)の私は奈良で開催された第18回熱物性シンポジウムを聴講しに行った.正直,研究や学会に興味はなく,まして熱物性に興味はなく,単に奈良に旅行したかったので先輩達について行った.当然ながら発表も議論も全く理解できず,記憶はほとんどない.覚えているのは長坂先生と奈良公園で鹿にせんべいをあげたことぐらいだ.まさかその先ずっとこの学会にお世話になるとは予想だにしなかった.
1998年の福岡開催で修士1年の私は発表デビューした.産総研の加藤英幸博士が開発したACカロリメトリ装置で高熱伝導グラファイトシートの異方的熱拡散率測定をした結果を発表した.静岡大の荒木先生,名古屋大の八田先生から厳しい質問を受け,うまく答えられずに加藤さんに助けてもらった.私はバツが悪く苦笑いをしていたら,後から長坂先生に「真剣な議論の場でニヤニヤするんじゃない」と叱られ,学会発表の厳しさを知った.
1999年,東京開催は聴講者として参加した.
2000年,名古屋開催.長坂先生から「博士学生なら懇親会ぐらい出なさい」と言われ長坂先生のポケットマネーで懇親会に参加させていただいた.ただ,酒も飲めず,大人とうまく絡めない私にはちっとも面白くなかった.
2001年~2006年はしばらく熱物性研究から離れておりシンポジウムからも足が遠のいた.2005年からは海外で研究していたが,学会員は継続していた.ある日,年会費滞納が発覚し事務局かつ恩師の長坂先生からお叱りのメールが届いた.慌てて会費を振り込もうとしたが,海外から郵便振替をする術がなく,仕方なく母に国際電話でお願いした.ただ口座番号が母も私も分からず,母が長坂先生に電話で問い合わせた.30歳過ぎの元教え子にお叱りのメールを出したら翌日にその母親から電話がかかってきて,長坂先生もホッコリしてくれたに違いない.
2007年,北海道開催.座長のために海外から参加.
2008年,東京(日本女子大)開催.名古屋大学に着任して初めての学会参加.僭越ながら学会奨励賞などを賜わり,新評議員になり,いよいよ役員としても熱物性学会に関わっていくこととなった.
2009年,山形開催.大学の用務で2日目まで参加.
2010年,福岡開催.前日の30周年祝賀会にのみ参加.
2011年,横浜(慶應大)開催.フル参加.
2012年,大阪開催.大学の用務で懇親会から参加.
2013年,富山開催.フル参加.
2014年,東京(東工大)開催.2日目から参加.
2015年,仙台開催.大学の用務で1日目のみ参加.
2016年,岡山開催.大学の用務で1日目のみ参加.
2017年,つくば開催.フル参加.
2018年,名古屋開催.フル参加.てか実行委員長!
といった具合である.学生時代から数えて22回の熱物性シンポジウム中16回に出席(出席率72%)と,まあまあの優等生だ.最近は3日間フルに参加できなくなってきたが,せめて半日だけでも行くようにしている.
なぜそうまでしてシンポジウムに参加するのか?それは奈良とかに行けるから,というのは昔の話で,熱物性研究が好きだからである.20年前から大きくは変わらない,だけど重要な基盤研究と,時代のニーズシーズをうまく熱物性研究に落とし込んだスタイリッシュな研究とがいいバランスで共存している.そんな安心感と刺激を求めて参加しているのだ.そしてもう一つの理由は懇親会.相変わらずお酒は飲めないが,どさくさに紛れて大御所の先生方にタメ口で話したり,昔の自分のようにうまく絡めていない若者に話かけるのが至上の喜びである.
これが私にとっての熱物性学会.20年近く恩恵だけを享受して,学会をこうしたいといったビジョンや提案力は未だに無いが,まあ平民だし,会費滞納しないというのを最大の努力目標にしている.