熱物性学会と私
森川 淳子 (東京工業大学)
今年のノーベル化学賞を受賞された吉野彰氏の会見を,メルボルンのシンクロトロン・オペレーションルームで聞いた.ストックホルムの発表から僅か10分後に,パリ・ソルボンヌのリチウムイオン電池研究を進める友人からメールが入り,日本のニュースを開くと,記者会見が始まっていた.入れ違いで同僚は食事にでかけ,一人で,オペレーションルームにいた時であった.
吉野氏の会見で,ある言葉が,耳に残った.
『正直言って3年ほどは,全く製品が売れなかった,それがある日突然のごとく売れだしたのが1995年,ウィンドウズ95の年です.まさにIT革命が始まったのです.… 中略 ... 幸せだと思っているのは リチウム電池はIT革命というとんでもない大きな変革とともに生まれて育ってきたのですね.』
熱物性の分野でも,ある世代以上の方には,この言葉に耳を留めた方も多かったのではないだろうか.熱伝導は熱物性・伝熱分野で,数百年にわたる研究の歴史を持つが,熱伝導という特性そのものが最先端の研究開発や物質開発のターゲットになったのは,私の印象では,ウィンドウズ98,そしてPentium III*というCPUの製品化にまつわる時期ではなかったか.吉野氏の偉業を引用することはあまりに大それているが,98年前後,それこそ,或る日突然,日本中の高分子や素材を扱う企業から,熱伝導の測定が殺到した.大学の研究室に,である.そのとき,理由はよくわからなかった.海の向こうの半導体メーカーがなんらかの指令を出し,かつ,その製品を生み出せるのは日本の技術しかないらしい,ならばなんとしても協力しなければ.今にして思えば若気の至りであるが,あとさきも考えず,ただただ測定した.大学法人化の前であるから,企業との研究契約など不可能,そのような時間の猶予も余裕も互いになかった.
その後,熱伝導に関する物質開発の研究は一過性のブームに終わることなく,一貫して現在に至っている.京都議定書,照明革命,宇宙開発,携帯電話,電気自動車へと,次々と,開発目標が掲げられる中,魔の川,死の谷,ダーウィンの海** を乗り越える時に,必ず,必要とされる技術のひとつとして位置づけられるようになった.現在の熱物性研究の隆盛は,IT革命とともにあったのであり,その時代に遭遇したことは,幸せなことであったのだと,吉野氏の会見をきいて,あらためて気付いたのであった.
そしていま,第4の科学,データ科学の時代がはじまった ともいわれる.その勃興と隆盛は,大いに期待されるが,その先にくるもの,あるいはその隆盛を支えるものがあるとしたら,私は地道な物性データの蓄積,およびそれにまつわる基礎研究であるという思いを強くしている.ただし,そのデータ表現のされ方は,大いに変貌し,現在の私たちの予想もできない形であるかもしれない.
今の時代には,世界を変える空気がある,とも吉野氏は語った.混沌とした中から生まれる何かを信じ,支えて,育てる,未来に対する勇気が,どういうわけか,もてそうな気がする.
【注記】
* Pentium III 米国半導体素子メーカー・インテル社が1999年2月に発売したマイクロプロセッサ(CPU)
** 「魔の川」:基礎研究から応用研究までの間の難関・障壁,「デスバレー(死の谷)」:応用研究から製品化までの間の難関・障壁,「ダーウィンの海」:製品化から,事業化までの間の難関・障壁
【謝辞】
思いがけず,巻頭言執筆の機会を頂戴しました.日本熱物性学会にて,多くのお教えと,常に暖かなご支援をいただきました先生がた,会員の皆様に,心より御礼を申し上げます.