熱物性値情報と私
佐々木 直栄 (日本大学)
第13期編集委員会委員長の田中勝行先生(日本大学教授)から,本誌巻頭言の執筆依頼を頂いたのは,新型コロナウイルス感染拡大により,某学会東北支部の主要行事中止の検討に着手した4月初旬の事だった.本会への目立った貢献がない私のような者が巻頭言を担当してもいいものか?と感じながらも,「歳も歳だし,お声が掛かるうちが花…」と思い直し,自己紹介を兼ねて,執筆をお受けすることにした.
私の研究者人生において,初めて熱物性値情報の重要性を感じたのは,一色尚次先生(東京工業大学名誉教授)の配下で,H2O-LiBr系吸収冷凍機の吸収器用伝熱促進管の性能評価に取り組んでいた日本大学大学院工学研究科博士前期課程(1987~1989年)の頃であった.ちょうどこの頃の本誌(関信弘,1987,p. 81)[1]でも,H2O-LiBr系作動媒体の正確な熱物性値表作成の必要性が述べられているが,我々の研究グループでも,伝熱促進管の性能評価以前に,H2O-LiBr系作動媒体の濃度-温度-屈折率のデータベースが構築されていた.実験装置の構築に手間取り,実験開始が相当遅れていた当時のことを改めて思い起こすと,この熱物性値データベースがあったからこそ,考案した新形状伝熱促進管の伝熱性能データをタイムリーに公表することが出来たものと思い知らされる.
企業 [住友系金属工業(株);現在の(株)UACJ] 研究所時代(1989~2010年)に最も印象に残っているのは,オゾン層保持対策として実施されたHCFC系(R-22)から,HFC期(R-410A,R-407C)へのエアコン用冷媒の転換期のことである.企業研究所に移ってからも各種用途の伝熱促進管の研究開発に従事していたため,伝熱管の性能を評価するためには,R-410A [R-32/125(50/50%)] やR-407C [R-32/125/134a(23/25/52%)] の熱物性値情報が必要となったが,当初はこれらの熱物性値表が存在せず,米国NISTによる冷媒熱物性データベース(REFPROP)による推算値を使用するしか手立てがなかった.佐藤春樹先生(慶応義塾大学名誉教授)のご助言により導入には成功したものの,当時のREFPROPは,現在では考えられないほど,汎用性が低かったため,自力で伝熱管性能評価システムに組み込むことを断念して,某装置メーカーからHFC冷媒対応伝熱管性能評価システムを新規導入したことを思い出す.迅速な顧客対応のためには投資を惜しまない企業研究の良き時代であった.また,この時期には,熱物性値を評価する研究グループと伝熱管の性能を評価する研究グループの役割分担が明確な時代であった.
近年の低GWP冷媒関連の技術開発においては、従来,伝熱管の性能を評価してきた研究グループが熱物性値の評価まで研究領域を広げる取組みが目立つようになってきた.熱物性値の評価まで研究領域を広げることにより得られた新たなノウハウが伝熱管の性能評価にも活かされることを期待したい.
企業研究所から出身研究室(日本大学工学部熱工学研究室)に赴任して1年も経たない2011年3月11日に,東北地方太平洋沖地震に見舞われ,津波による福島第一原子力発電所の爆発事故の影響が甚大であったこともあって,しばらくは,研究室主宰の小川清先生(日本大学名誉教授)により収集された熱物性値情報を論文化して公開することに注力した.3年後に私自身がこの研究室(サステナブルエネルギー研究室に名称変更)を引き継いで以降は,熱交換器の性能向上を軸とした自身のライフワーク的研究に加えて,九州工業大学から赴任された田中三郎先生(日本大学専任講師)が主体となった,各種流体,土壌,霜層などの熱物性値情報の収集・公開にも取り組んでいる.
専ら熱物性値情報を利用する側の立場で過ごしてきたこれまでの私の半生の経験を活かして,ユーザーが利用しやすい熱物性値情報の公開に努めることにより,僅かでも本会へ貢献できれば幸いと考える.
[1] 関 信弘:「熱物性データニーズに関する調査結果」,熱物性, 1(2) (1987) 81-91.