マレーシアの生活と熱物性学会




辻 智也 (マレーシア工科大学)




 私がマレーシア工科大学に着任したのが2015年12月であるので,マレーシアでの生活は,かれこれ4年半の月日が経ったことになる.着任の際,マレーシアの研究者としてマレーシアで生活するのであるから,日本で在籍学会をある程度整理してきたわけであるが,日本熱物性学会は現在も在籍したままである.実は2015年1月に慶應大学の長坂先生より,Asian Thermophysical Properties Conference (ATPC) 2016の実行委員を仰せつかり,かつSpecial Issue担当という重要な役割を任されたので,いまさら投げ出すわけにはいかなかったからだろうと思われても仕方ないかもしれない.これはちょっと違っている.
 化学工学を生業にする私にとって,熱物性学会は,数少ない機械工学と化学工学の交流の場であった.同じ流体を扱っていながら機械工学では冷媒の p-v-T関係,蒸気圧,比熱,粘度などの熱物性の常に花形である.一方,化学工学は石油化学から展開した超臨界流体,イオン液体などの相平衡が王道でもある.状態方程式も全く起源が違うし,要求される精度も異なる.また,熱力学の使い方も全く異なる.衝撃を受けたのは p-v 線図上でサイクルは,物理化学の教科書ではエントロピーが状態量であるのことをしめす手段であるのに対して,熱工学の教科書では,あたりまえであるが,エンジンや冷凍機の設計に使用する.化学工学の分野では,流体物性測定は環境,エネルギー,材料に比べて,地味な印象を受ける.そのため,若い研究者は減少し,工学部の化学系学科において,化学工学は正直なところ学生に人気がない.そうなると,学会でのシンポジウムや講演会を企画してもマンネリ化は避けられず,客寄せに熱物性学会の若手の先生に講演をお願いすることも多くなった.講演頂いた先生方は,若々しく熱弁を振るい,新しい話題を提供するのでいつも好評である.お願いしてばかりでは,あまりにも申し訳ないので,自身の勉強のため熱物性シンポジウムに参加して,微力ながらセッションを盛り上げたい気持ちから,熱物性学会に在籍したままにしているのが理由である.
 このような不純な私がマレーシアから年1度,熱物性シンポジウムに参加しても,会員の皆様は暖かく迎えてくれる.ATPC2016の翌年2017年11月つくば市で行われた第38回日本熱物性シンポジウムでは,富山県立大学の宮本先生から「エネルギーの輸送に関わる流体物性と技術」と題したオーガナイズドセッションを行うので是非参加して欲しいと連絡をいただき,半ばおだてられて有機ハライドを用いた水素貯蔵媒体について発表した.学会終了後には,産業技術総合研究所の粥川先生がワークショップを企画いただき,私としては充実した楽しい一時帰国となった.それ以降の,2018年11月名古屋市で行われた第39回日本熱物性シンポジウムでは,スプレー缶内の噴霧剤,溶剤,増粘剤の気液平衡性質,2019年10月長崎市で行われた第40回日本熱物性シンポジウムでは,共同研究先の企業の方にメタン+水銀系の擬固気平衡モデルを発表した.私としては,機械工学の研究となるべく重ならないテーマを選んできたたつもりである.
 さて,次はマレーシア人の教員・学生に,日本への旅行付きで講演させようと意気込んでいた次第である.ご存じのように,マレーシアはマレー系,中華系,インド系からなる多民族国家である.宗教も習慣も異なる教員と学生の研究室に突然日本人教授もやってきた.地道な流体物性測定は時として,マレーシア人には受入難いものであったかもしれないが,何人かは賛同してもくれた.また,マレーシア人共通認識として,古くから大学教員や技術者は女性に向いた職業と考えられている.これには驚いた.価値観の違う日本人とマレーシア人も混沌としながらも同じ研究室にいる.今年は,COVID-19のため,国内外の学会は軒並み,中止または延期,良くてもオンライン学会となっている.熱物性シンポジウムもしかりである.残念ながら,マレーシアの教員・学生には日本への旅行ができないので,士気は多少落ちてきた.しかし,私個人としてはオンライン化なんぞは熱物性研究は向かないと思っているので,会員の多くはこれまでの研究生活に戻ろうと努力していると信じている.そして,私も近いうちに,マレーシア人の発表を熱物性シンポジウムで皆様にお披露目したいと思っているのである.

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