あのときは…




田口 良広 (慶應義塾大学)




 前号では東会長からコロナに立ち向かう心強いお言葉がありました.40周年記念誌の記事でも若干触れましたが,今号でもコロナに関する話題を巻頭言に掲載させていただきたく思います.お歴々の方々から,巻頭言を備忘録にするなとお叱りを受けるかもしれませんが,いつの日か「嗚呼,あのときは,コロナで大変だったなぁ」と笑って話せる日が来ることを夢見て,現状を纏めさせていただきますことをお許し下さい.
 データが気になるのは熱物性研究者の性でしょうか,世界のワクチン接種状況をBloomberg※注1でチェックし,感染状況をWorldometer※注2で調べるのが日課となりました.本稿を執筆時点(2021年4月23日)で世界のワクチン接種回数は9.6億回を超え,本誌が皆様のお手元に届くころには10億回を優に超えると思います.イスラエルのワクチン接種率は57%を超え,感染者・死亡者ともに激減しマスクを必要としない生活に移行しつつあります.また,米国はあと3ヶ月ほどで接種率が75%に達すると予想されています.我が国のワクチン接種率は執筆時点で0.9%であり,街の灯りを消してくれという東京都知事の要請とともに緊急事態宣言に突入します.
 Web会議で他大学・他機関の研究者とお話をすると,必ずコロナの話になります.コロナ禍における所属機関の入構体制や授業対応などが話題になりますが,そこで感じるのは筆者所属機関の対応が最も厳しいということです.ロックダウンを経て大学への入構が許可された2020年6月には,1部屋あたり2名を上限として事前申請をすることで研究が許可されました.部屋への入退室の際にはドアに掲示されいてるQRコードを毎回読み取って記録するという徹底ぶりです.22時以降の滞在は許可されません.原稿執筆時点ではQRコード記録は緩和されましたが,夜間・休日における学生の残留は厳しく制限されており,夜になるとキャンパスは廃墟のように静まり返ります.
 どの実験系研究室もそうですが,オンラインで実験するのは現実的ではないですし,在宅で研究を進めるというのもなかなか難しいです.夜間入構制限が敷かれ,指導教員から学生に「残留して頑張って実験しろ!」とは言えない状況で,いかに研究を進めるかが悩みの種でした.例えばセミクラスレートハイドレートの熱伝導率を非定常細線法で測定する研究では,結晶生成を行い,1データ取得するまでぶっ通しで実験を行い丸1日かかります.特に結晶状態が不明な物質に関しては結晶をカメラで観察しながら生成条件を調整しなければなりません.そこで,測定用の試料容器を熱拡散長の影響が出ないギリギリまで小型化し,半日で実験が終えられるように工夫しました.また,結晶成長観察用の超小型試料セルを開発し,3時間で結晶生成プロトコルを決定できるようになりました.コロナ禍の入構制限に対応した単なる時短作戦ですが,裏を返してみると実験時短化によって様々な試料・様々な条件で測定が行えることを意味しており,今後爆発的に熱物性データが増えていくことを妄想しています.
 マイクロ熱物性センサーの作製を行っている共用クリーンルームでは,MRゴーグル(Mixed Reality: MR,Microsoft製Hololens2)を用いた遠隔支援を試行し始めました.越境できない遠方の学生や企業ユーザーに対して,MRゴーグルを装着した職員が装置やサンプル,プロセス状態を実際に示しながらファブリケーションを進められるようになります.また,MRゴーグルを装着したユーザーが,装置研修や装置トラブル時のサポートを受けられるようになります.海外にいるユーザーが遠隔でプロセスできる日もそう遠くはありません.コロナ禍への対応は,様々な(かつポジティブな)副産物を生み出し,熱物性研究を後押ししていることは事実です.コロナ禍で我慢を強いられておりますが,長いトンネルの先の光は確実に見えています.

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