多様性と自己懐疑性




重里 有三 (青山学院大学)




 2021年夏に開催された東京オリンピック・パラリンピックは、新型コロナ禍ということもあり例年とはかなり趣が変わりました.どちらの開会式・閉会式でも,人種・性別や身体的な個性等の多様性の重要性を力強く表現するパフォーマンスが多くあり,楽しませてくれました.筆者はこれらを好意的に受け止めました.社会の様々な場における多様性の重要性を日本から世界に向けて発信することは,現在まで必ずしも実現できていなかった日本にとって大きな意味があるだろうと思えるからです.
 現在,液晶パネルや有機ELパネルを駆動するための薄膜トランジスタ(TFT)材料としてインジウム(In),ガリウム(Ga),亜鉛(Zn)の複合酸化物のアモルファス薄膜(a-IGZO)が実用化されています.従来はアモルファスシリコン(a-Si)の薄膜が使用されていましたが,a-IGZOは-a-Siよりも電子の移動度が20~50倍も大きくTFT回路の小型化や配線の微細化が可能になり,より高精細で,高開口率の平面型ディスプレイを作製することができます.これは,それぞれIn,Ga,Znの元素としての異なる「個性」により,アモルファスの酸化物中で助け合い,補い合い,融合して理想に近い半導体特性を実現している,と考えることができます.酸化インジウム(In2O3)は錫(Sn)をドープしたITOなどの最も高性能な透明導電膜材料として有名ですが,これは伝導帯が主としてInの5S軌道からできており,実空間で球対称に広がって重なり合っているため電子の「高速道路」が形成され移動度が大きくなると考えられています.これにZnが数十%混ざると,アモルファスのIn2O3の結晶化温度が160℃から500℃以上に上がり,アモルファス状態で非常に安定な物質となります.酸化インジウム亜鉛(IZO)はアモルファスの透明導電膜としても実用化されています.IZOの場合はアモルファスであり,Sn等の不純物ドーピングが効かないため,酸素空孔がすべてのキャリア(ドナー)を出していると考えられます.これをTFTの半導体として活用するためには,電界がOFFの状態でキャリア濃度ができるだけ小さくなる必要がありますが,酸素との結合エネルギーが大きなGaをさらに加えることで酸素空孔によるキャリア生成を抑制することができ,安定なn型のアモルファス酸化物半導体薄膜であるa-IGZOが完成されました.この様に考えると,a-IGZOはまさに各元素の異なる個性による多様性を十全に生かしたダイバーシティ材料と呼ぶことができそうです.
 様々な新聞やニュースで,日本からパブリッシュされた注目度の高い論文の数が最近10-20年では海外の先進国と比較し減少しており,その他国際的な科学技術成果の発信力も低下してきているという記事が散見されます.これは,様々な理由が絡み合った「複雑骨折」だと考えられますが,やはり科学技術の研究開発の場において多様性が失われてきているのも原因の一つだろうと感じます.例えば,運営費交付金を減らし競争的資金を増やすなど,研究・教育予算に関する偏った,行き過ぎた「選択と集中」などは,研究の場の多様性を大きく損なってきたのではないでしょうか.
 それでは,なぜ研究・開発,そして教育の場で多様性を担保することが大切なのか.その本質について,筆者は自己懐疑性を持つためだと考えます.自分自身の存在する意味や自分という存在の価値を疑うことは,哲学や文学が生まれる最も基本的な要素ですが,自然科学においても自己を相対化することは本質的に大切なことです.自己懐疑性が失われると,少し古い言葉ですが「無謬性の神話」に陥って,硬直化してしまいます.これは多様性の欠如によって引き起こされます.アインシュタインは以下のような言葉を残しています.「想像力は知識より重要である.知識には限界がある.想像力は世界を包み込む.」多様性の中の葛藤や刺激の中で想像力が育まれます.
 日本熱物性学会は,熱物性や材料に関する理学・工学の基礎は共通基盤になりますが,それらの応用分野は多岐にわたる分野にまたがっており,多様な方々と出会うことができる素晴らしい場です.この学会での様々な方々との出会いは刺激に満ちており,想像力を刺激してくれます.熱物性学会が多様性を大切にしながらますます発展していくことを祈念しています.

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