呪文?,台詞? 先人の思いを心に刻んで




戸谷 剛 (北海道大学)



 熱物性8月号の巻頭言は,前年に行った日本熱物性シンポジウムの実行委員長が担当することに決まっているそうで,「なぜ,お前が巻頭言を…,100年早い.」と思われる読者が多いと思います.ご容赦下さいますよう,よろしくお願いいたします.
 私が担当いたしました第42回日本熱物性シンポジウム(2021年10月25〜27日)は,新型コロナウイルス感染症拡大防止のため,オンラインでの開催とさせていただきました.ただ,統計を見ますと,10月25日の全国の新規感染者数は151人,10月26日,27日は両日とも309人でした 注1).新規感染者数が2022年7月23日に20万人を超えても,行動制限がほぼない現状(7月28日現在)と比べ,複雑な気持ちを抱えつつ,この原稿を書いています.
 先日,帰宅すると,リビングから娘の声が聞こえてきました.「…われらとわれらのしそんのために…」,「…こうせいとしんぎをしんらいして…」,「…ちじょうからえいえんに…」,「…すうこうなりそうともくてきをたっせいする…」注2).また,ゲームをしながら気に入った呪文でも唱えているのかな?と,それとなく様子を見ると,普段であれば,タブレットとスマホを同時に駆使してゲームに夢中になっている娘が,タブレットもスマホも見ていません.片足を椅子に乗せた立った姿勢で一枚の紙を見ながら,時々うーんと唸りながら呟いています.台詞の練習かな?と思いつつ,耳を傾けていると,「…協和(心を合わせ,仲良くすること)による成果と…」,「…自由のもたらす恵沢(けいたく)(めぐみ)を確保し,…」注2) と大変高尚な単語を口にしています.いよいよ分からなくなり聞いてみると,「できる?」と手に持っていた紙を渡されました.その紙には,たくさんの空欄が設けられ穴埋め問題になった日本国憲法前文が書かれていました.
 恥ずかしいことに,私は日本国憲法前文を読んだ覚えがありませんでした.「日本国民は,正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し,われらとわれらの子孫のために,諸国民との協和による成果と,わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し,政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し,ここに主権が国民に存することを宣言し,この憲法を確定する。」から始まる日本国憲法前文は,戦争によって疲弊した当時の国民の思いが伝わってくると強く感じました.
 2022年7月10日に投開票が行われた参議院議員通常選挙の結果を受け,憲法改正に前向きな政党の占める議席が2/3以上となり,憲法改正の発議が可能となりました.私自身は積極的な改憲派でも護憲派でもありません.ただ,変えるのであれば,数十年経っても色褪せない国民の大多数の思いが込められた前文になってほしいと思います.
 翻って,日本熱物性学会倫理規程の前文によると,「日本熱物性学会は,広く熱物性値の測定・評価・普及などに携わる研究者と,研究成果の利用者との交流を通じて,熱物性研究の進展とその成果の社会への還元に寄与することを目的とする。」注3)と書かれています.簡潔でありながら,日本熱物性学会の使命がしっかりと書かれており,この文章を作られた先輩諸氏の思いが伝わってきます.学会誌「熱物性」は,上記の「熱物性研究の進展とその成果の社会への還元」という目的を達成するためのものです.その巻頭言の執筆を任されたことを,大変光栄に感じております.ただ,これまで巻頭言をご担当されました先生方のような含蓄に富んだ内容を書けず,申し訳ありません.先人の思いを心に刻み,熱物性研究の進展に貢献するように日々を過ごしていきます.

注1) 特設サイト新型コロナウイルス,https://www3.nhk.or.jp/n-data/opendata/coronavirus/nhk_news_covid19_domestic_daily_data.csv, アクセス日:2022年7月26日.
注2) 矢ヶ﨑典隆,坂上康俊,他108名,新しい社会 公民,東京書籍株式会社,p.222, 2022.
注3) 日本熱物性学会倫理規程,http://www.netsubussei.jp/pdf/JSTPethics.pdf, アクセス日:2022年7月27日.

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